2015年 07月 26日

北方領土問題(2)対日講和条約の規定と千島の範囲

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対日講和条約の発効(1952年4月)で日本は独立を回復した。同条約が締結された講和会議(1951年9月)にはソ連も含む52カ国が出席したが、講和条約に調印したのは49カ国。ソ連は調印を拒否した共産圏3国のひとつだった。

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対日講和条約の「第2章 領域」第2条(C)は、
「日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定。しかし、この放棄したところを日本にかわってどの国が領有するのか規定されなかった。

千島列島・南樺太をロシアが「領有」している根拠はない、という意味で、先の地理院地図の赤丸部分が点線なのだ。そして、同地図の青丸部分の点線は、未画定(或いは領土問題を抱える)の箇所である(もうひとつの領土問題は竹島)。

講和条約では千島列島の範囲も示されなかった。同条約作成に携わったダレス米国務長官顧問は法律家だったのにもかかわらず、なぜそのような曖昧さを残したのでしょう。
(続く)
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by itsumohappy | 2015-07-26 16:34 | 歴史・領土問題 | Trackback | Comments(0)
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